カテゴリー「私のウルルン滞在記」の14件の投稿

ウルルン滞在記~2005年北米編⑫

トロント滞在最後の日。

お隣のマリー&スーザンに誘われ、Jamie&Dougと地元では有名なレストランでランチをした。
日本からのお土産を渡したら、お礼にレストランのマグカップを頂いた。 お土産は日本の(悪?)習慣なのだから、気にしなくて良いのに…。

さて、どうしても聞きたかったスーザンが警察官になった理由。
イギリス出身のスーザンは小さな頃から警察官になりたかったが、体格の条件に満たすことができず断念して軍隊に入ったそうだ。
カナダに移住してからは会社員になり、かなりのサラリーを得ていたが、3年前に会社勤めに嫌気がさし、ダメ元で送った書類が認められ警察官になるチャンスを得たらしい。
警察官になって最初の収入は会社員時代の4分の1以下。彼女は警察の仕事を楽しんでいるようだけど、決断するには勇気がいる。

パートナーのマリーは大工やインテリア関連の仕事をしている。
Jamie&Doug達が住んでいる通りは、ほとんどが1階と地下の2階建ての家で、そのなかで珍しい3階建ての家がマリー&スーザンの家。
マリーが自分で増築したそうで、ランチの後に彼女達の家を案内してもらった。 まだ完成していない部分もあったが、内装も凝っていて素晴らしい。
ひとつのフロアだけで、私が住んでいる部屋と同じくらいの広さである。 各フロアにバスルームがあり、テレビは合計4台ある。二人(と犬に二匹、猫二匹)で住んでいて広すぎると思ったが、なんか・・・私が住んでいるのは「うさぎの家」だと実感。

最後の夜は、家でゆっくりディナーした。 寂しくなるね、今度はいつ会えるんだろうね、なんて語りながら・・・。

* * *

別れの朝、朝5時半にJamie&Dougの家を出て、バス、地下鉄、空港行のバスを乗り継ぎ空港へ向かう。

イミグレーションは長蛇の列で、カナダ人でもアメリカ行きの飛行機に乗るときは指紋と顔写真をとられる。

私はまたオーバースティ疑惑の質問を受け、“だから~、入国した時に説明しました!入国出来たのだから問題ないでしょう”と切れそうになる。セキュリティでは手荷物の中身を調べられ、靴を脱がされ、うんざりだった。

シカゴから成田行きの飛行機では、隣はアメリカ在住の台湾人の女性、その隣はアメリカ在住の韓国人の女性で、とても愉快な方々で、おしゃべりで盛り上がった。

Jamie&Dougの家を出てから約26時間後に帰宅した。

ウルルン滞在記~2005年北米編 <完>

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑪

週末、Jayme&Doug車でダウンタウンに連れて行ってもらった。
日本で結婚する友達への贈り物を購入することが目的だったが、ショッピングセンターから出ようとしたら、出入り禁止になっていた。

近くのビルの窓ガラスに大きな鳥がぶつかり、ガラスが割れたので危険だから近づくなということだった。カナダではこのような事もあるのだ。

帰宅後、隣に住んでいるマリーとスーザン(仮名)に会った。彼女達はレズビアンカップルで、私にとって初めてのゲイカップルだった。
余談だが、それがきっかけとなり、今では日本にもたくさんのゲイの友達がいる。

スーザンは3年前に警察官になり、忙しくなかったら警察署を案内してくれるという。
以前は会社勤めをしていて高収入を得ていたスーザンが警察官とは晴天の霹靂だったが、理由は翌日のランチに聞くことができた。

夕方になってスーザンから連絡があり、Jamie&Dougとトロント55管轄の警察署へ向かった。

警察署にいるスタッフは皆気さくで、スーザンが全員に私達を紹介してくれて、その度に自己紹介と握手を繰り返すことになる。

スタッフルーム、トレーニングルームを兼ねた男女別のロッカールーム(フィットネスクラブにあるようなマシンが揃っている)、盗品保管所、留置場などを案内してもらう。

留置場は鉄製のベッドとトイレのみの小さな個室が並んでいて、一晩だけなので毛布やマットレスは与えられないらしい。その日は、女性が一人留置されているので、男性の留置場を見せて貰った。

係員に精巧に出来ている偽造紙幣も見せてもらった。

パトカーにも乗せてもらった。運転席にはパソコンが搭載され、タッチパネルで様々な情報が検索できるという。後方席はとても狭く、小柄な私でもなかなか出られないほど。なるほど、簡単には逃亡できないようになっているのだ。

日本ではできない貴重な経験だった。

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑩

10年前にJayme&Dougと会った時は、飼い猫は一匹だけだった。
5年前は3匹だった。そして今は5匹いる。
とにかく落ち着かないが、興味深い。

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Dvc00016_1 画像左から、年長のアルフィー(18歳)、Dougが働いていた店で拾われたシャイなスキッド、家がある通りの名前を付けられたヤードリー、私にベッドを占領されたと思い部屋のドアひっかく唯一の牝猫マニュー、水周りが好きでバスルームにまで入ってくるやんちゃなシノビ(8ヶ月) 。

* * *

日本でも開催されている「Body World」(人体の不思議展)が、オンタリオ科学センター(Ontario Science Center)で公開されていて、Dougに勧められて行ってきた。

寄付してくれた方々の人体が骨、血管、神経、筋肉、内臓などさまざまなテーマにそって保存されている。

中でもすごいのが「プラスティネーション」(Plastination)という死体保存技術で人体丸ごとをサッカーでボールを蹴るシーン姿等にアートスタイルにしてしまったところ。ラクダや馬もあった。

私は、係員にカメラ付ではないかと疑われながらも、電子辞書を片手にどうにか理解できる程度。感想は…、ノーコメント。医学関係者なら興味あるかも・・・。

(続く)

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑨

滞在先のJamie&Dougは10年前に知り合い、以後トロントに行く度に泊めて頂いている素敵な夫妻。
その年9月に結婚25周年(銀婚式)を迎えたのだって。おめでとう!

トロント到着の翌日は二人とも仕事のため、一人でダウンタウンへ行き、ツーリストインフォメーションでイベント情報(特にミュージカル)を集めることにした。
しかし、5年前にあった場所にツーリストインフォメーションはなくなっていて、大きなホテルに行けばビジターガイドがおいてあると思い、ホテルを目指して移動。

街の途中で、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の旗がいたるところにあった。 私の一番好きなミュージカルだし、行くしかないでしょ。といいうことで、足取りも軽くチケットを買いに劇場に向かったが、チケットは完売(涙)。
レミゼが観られないと判った途端、他のミュージカルも興味を失ってしまった。

時間があったので、10年前滞在していた時によく行っていた「Eglinton Square」というショッピングモールに寄ってみた。
行く途中で、バスの中から10年前ホームスティしていたアパートが見えた。周りは、コンドミニアムがたくさん建てられていて、その周辺は様変わりしていた。

Eglinton Squareは大きく変わっていなかった。当時、買い物したり、食事したり、ヘアカットをしたりした場所なので、初めてピアスしたのもそこだった。

夕方、Jamie&Dougと地元のメキシカンレストランに連れていってもらった。
10年前の話になるが、Jayne、Jamie&Doug夫妻と初めて地元のメキシカンレストランに行った時に、お店に飾られていたメキシンカンマスクがとても気に入った。
やしの実で作られた、様々な表情のマスク。
私の誕生日お祝いにJayneからマスクを頂いたのがきっかけとなり、トロントを訪問するたびにそのレストランで食事しては少しずつマスクを買い集めていた。

その日は二つのマスクを購入した。Dvc00009_1 Dvc00010Mask (右画像は、我が家のコレクション)

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑧

カナダ・トロントへの移動日。

しかし、心残りがひとつある。デトロイト美術館(DIA/The Detroit Institute of Arts)で、彫刻家のカミュークロデールとロダンの特別展示会をやっていたが、休館日だったため見学ができなかった。

カミュークロデールはロダン(「考える人」の彫刻で有名)の弟子で、愛人兼モデルだった人だが、以前映画を見て感動し、本も読んだし、パリのロダン美術館まで足を運んだことがあるくらいである。もちろん作品集も持っている。

美術館は月曜・火曜と休みだったから、行くとしたらチェックアウト前の午前しかない。
移動時間を考えると一時間半しか見学時間がなかったが、取り急ぎ行ってきた。
多くの作品はロダン美術館から借りたものだが、個人所蔵の作品や、二人が送りあった手紙なども展示されていて、また新しい発見だった。

* * *

デトロイトからトンネルを越えるとカナダのWinsorという国境の町で、バスで15分程度。 Winsorの駅から列車でトロントへ移動する。

ホテルをチェックアウト後、国境トンネル行のバス乗り場まで数ブロックを歩いて移動。バス代は2セント足りなかったが、運転手さんは許してくれた。

トンネルに抜けて国境に着くと、そこでバスから降りてパスポート提示をしなければならない。そこでステーションの場所を聞いたら、すぐそこだと教えてくれた。
しかし、着いた場所は長距離用のバス・ステーションで、列車のステーションではない。
そこでまた聞いたら、列車のステーションは全く違う場所にあり、歩けば1時間もかかるという。

予約していた列車の出発時間まで一時間弱で、パニックに陥った。

老年の女性に駅に行くバス乗り場を聞いたら、バス乗り場まで数ブロックもあるのに親切にも案内してくれた。
発車寸前のバスにどうにか乗り込むことができたが、札で払ってもおつりは貰えないのに、カナダドルの小銭がない。運転手さんはタダで乗せてくれた。
運転手に促され駅近くのバス停で降り、インド系の女学生も駅に行くということで駅まで案内して貰った。

Winsorではいろいろな方にお世話になった。

* * *

無事Viarail Canadaの列車に乗ることが出来、4時間かかってトロントに移動。
10年前に滞在して以来、アメリカにいく用事があるたびにトロントにも寄っていたが、今回は5年ぶりの訪問。懐かしきトロント、私の第二の故郷。

トロントの滞在先の友人を驚かせようと、地下鉄とバスを乗り継ぎ自力で行くつもりだった。しかし、間違ったバスに乗ってしまい、途中で降りるはめに・・・。

荷物を持ったままこれ以上は移動できないので、しかたなく電話で連絡して迎えにきて貰い、バス停での再会となった。

(続く)

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑦

デトロイト滞在5日目。

ホテルに併設されているレストランでゆっくり朝食をとり、まずはJayneや他の方々がお勧めの「モータウン博物館」に行くことにした。バスが走っている通りまで行き、運転手にどのバスに乗るか聞いて、どうにかたどりついた。

バス停で降りると、また黒人男性(名前もレジという)が声をかけてきた。日本に滞在したことがあるらしく、一緒に回っても良いかと聞かれたが、昨日のことを話し勘弁してもらった。

差別するわけではないが、ダウンタウンで見かけた方の約7~8割が黒人だった。統計によると同市の黒人系構成比率(80.2%)は全米主要都市の中でも最も高いらしい。

しかし、黒人文化の街だからこそ生まれたモータウン・レコードで、「モータウン博物館」はその博物館であるが、以外と小さい。

“モータウンは、自動車産業で知られるデトロイトがモータータウン (「モーターの町」の意味) と呼ばれていたことに由来。モータウン・レコードの創始者であるベリー・ゴルディーJr.が、1959年にこの博物館となっている家を購入し、レコーディング・スタジオを作ったことがきっかけになった。二階建ての2件の家がつながっていて、中が博物館になっている。博物館には有名なアーティスト達の貴重なレコード・ジャケットやマイケルジャクソンがステージで着用したきらびやかな衣裳や帽子、手袋などが展示されている他、一階の部屋は、当時のままのレコーディング・スタジオになっていて、 あのスティービー・ワンダーが弾いたピアノなどが展示されている。(Websiteより引用)”

バスの乗り方が判ったので、市内の観光ポイントを歩いてみたが、美術館も博物館も月曜・火曜はクローズしている。
時間潰しにPeople Moverというモノレールに乗って一周してみたが、距離も短くたいしたことがない。

* * *

たまたま見つけた劇場で、オフ・ブロードウェイMusical「Alter Boyz」が上演されていることが判った。当日のチケットがあるか聞いてみたところ、前列2列目の席があるという。一人分の席が残っていたみたいで、ラッキーだった。

開演時間は20時なので、終わるのは22時頃。劇場はホテルから徒歩10分程度。
しかし、いろいろな人からダウンタウンは危険だから夜は歩いてはいけないと注意されていた。どうしよう…。
結局、バックは持たずに部屋の鍵と最小限のお金をポケットに入れ、行きも帰りも小走り状態で移動した。

Alter Boyz」(←クリックする時は音を低めにね)はNYオフ・ブロードウェイで賞をもらったミュージカルで、イケメン5人が歌って踊るショー。
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ストリー性はないが、かっこ良かったし、面白かった。
客席はステージに近く、汗やツバキまではっきり見えた。

(続く) 次回はトロントへ移動のお話しです。

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑥

前回のウルルン滞在記の投稿から、また一週間経ってしまいました。

あぁ~、日々が過ぎるのがなんて早いことか・・・。2006年もあと半月で終わってしまいます。なのに、ウルルン滞在記はまだ4日目の事です。手抜きになってきましたが、X'masイブ前までに毎日連載します。

* * *

デトロイト滞在4日目はあいにくの雨。

その日、Jayne達は遠くから来ているゲスト達と地元の美術館に行くらしいが、私はダウンタウンに移動するので参加することができない。

前日のBBQパーティから慌しく帰ってきたので、皆に別れの挨拶がしていなかったので、どうしても別れの挨拶だけはしておきたかった。

BBQパーティに途中から参加したアッシー君のビルに、ダウンタウンまで送って貰うことを約束していたけど、彼は通風気味で体調が悪くチェックアウトまで起きることができないし・・・。
そんなことを考えながら、朝食を食べに向かったら、偶然にもイギリスから来ていたJayneの親戚一同が一緒だった。
ダメ元でお願いしてみたところ、Jayneの叔父さんが快く引き受けてくれた。
Jayneの家まで送ってくれて、別れの挨拶が済むまで待ってくれて、またホテルまで送り届けてくれた。

そして、約一時間かかるダウンタウンのホテルまで送ってくれたビル、感謝してます。

交通手段では、いろいろな方にお世話になった。

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ウルルン滞在記~2005年北米編⑤

先週は忙しかった。風邪もひいている。

今日は、フィットネスクラブの会員さん達との忘年会が予定にはいっている。なんと、3時間半。

一週間ぶりの『私のウルルン滞在記~2005北米編』です。

* * *

結婚式の翌日は、雲ひとつない晴天。新郎の友人宅でのBBQパーティだった。

滞在したデトロイト郊外のNorthvillという街は、タクシー以外の公共の乗り物がなく、車がないとどこにも移動できない。
ホテルはモーテルのようなところで、受付と客室が別の建物になっている。私の部屋は二階建ての一階で、部屋の前は駐車場。レースのカーテンはないので、カーテンを開けておくと丸見え状態。
こんな部屋に長くいたくないので、アッシー君のビルに電話したけど応答がない。ビルは痛風気味で朝起きるのが辛いらしいから、仕方がない。
Jayneに電話して、お父さんに迎えにきてもらった。

まず新郎・新婦の自宅に行き、コーヒーを飲みながらJayneの家族とくつろいだ後、BBQパーティ会場へ。成田空港で買った日本酒を持っていった。

個人の家だけど、すごく広い。近くの森や池は、周りにある複数の住宅で共同利用しているそうで、ラクーン、スカンク、キツネなどがいるらしい。
池の側の芝生に寝転がって見た、雲ひとつない青い空を今でも覚えている。

その家に滞在している日本人ゲストが巻き寿司とちらし寿司を用意してくれた。やはり日本食はおいしい。
シャンパン、ワイン、ビール等の飲み物もたっぷりあって、その家のお母さんが作った料理もおいしかったし、結婚式とBBQのためにコネチカットから駆けつけたおじいさんのBBQ(私は肉が苦手なのでサーモンを頂いた)もおいしかった。

BBQパーティでは、結婚式では見かけなかった日本人男性が何人かきていた。
聞いたところによると、Jayneの英語のプライベートレッスンの生徒さんだそうで。
日本の食材を売っている商店に「日本でNOVAの講師経験有り」(←Jayneのこと)と書いた広告を貼って募集したらしい。合計で8人の日本人男性の生徒がいるとか・・・。ほとんどの生徒は車関係の会社で勤務している方々。さすが、車産業の街、デトロイト。

参加者もすこしずつ帰っていった夕方、結婚祝いの贈り物の披露会。
新郎・新婦が贈り物をひとつずつ開けて、贈り主のエピソードを話しながら皆に披露する。

まずい・・・、私は動揺しはじめた。
私が送ったのは祝儀袋に入れた現金と英語で書かれた日本料理のレシピ本。事前にメールで何が欲しいかJayneに聞いたら、お金が良いと言っていたので・・・。

いよいよ私からの贈り物の番になり、Jayneに目くばせし“Jayne、マネーだから見せないで”。日本料理のレシピ本だけ披露してもらったが、新郎には好評だったみたい。

変わった贈り物は、環境保護のためのイギリスでの記念植樹。Jayneは感動していた。
Jayneも新郎のPoulもイギリス出身で、イギリスからも沢山のゲストが来ていた。

日も暮れて風が冷たくなった頃、地元に住んでいる女性がホテルまで送ってくれるということで、慌てて帰ることに。
Jayneにも、Jayneの家族にも“さよなら”を言えずに・・・。

(続く)

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ウルルン滞在記~2005年北米編④

今回は、デトロイト郊外でのJayneの結婚式のお話。結婚式といえば心温まる話のはずなのに、文章力がなくてまとまらず。雰囲気だけ感じ取っていただければ・・・。

画像はありません。当時デジカメを持っていなく、普通のカメラを持っていったので、数枚しか撮りませんでした。そのうちにスキャンして掲載するかもしれません。

* * *

アメリカでの結婚式は一度出席したことがあるが、日系アメリカ人と日本人のビーチでの結婚式だったから、アメリカの典型的な結婚式はその時が初めて。

ビルの車に乗せて貰い、ビレッジにある教会へ向かう。

Jayneからのメールで日本人も沢山出席すると聞いていたが、結構来ていた。
私が彼女のホームステイ学生1号(10年前)。そして最後のホームステイ学生(1年前)、Jayneが5年前大阪に滞在していた時のホストファミリー、大阪滞在時に頻繁に行っていた京都のお友達。

教会でJayneのお兄さんと奥さん(Jayneの親友)と久々の再会。結婚リングを祭壇まで運ぶリングボーイを勤めた5歳の息子は超可愛いの。Jayneの両親とも再会。
結婚式出席が目的だったけど、彼女の家族と再会するのも楽しみだった。

お父さんにエスコートされたJayneのドレスはシンプルで、ベールはかぶらず白いリボンを巻いただけ。

実は、脳の血管が破裂して結婚式の2週間前まで入院していて、しかも脊髄がウィルスに冒されるという別の病気も併発したらしい。頭の手術のために剃髪しなければならず、一部カツラをつけているためリボンで固定していた。後遺症がなくて幸い。

新郎・新婦は向かい合って両手を繋ぎ、神父さんのお言葉を聞き、誓いの言葉を言うのだけど、Jayneはとっても幸せそう。

メイドオブオナー(Maid of Honor)であるJayneのいとこのお祝いメッセージの後、他の参加者は抱き合ったりキスをしたりしていて、ハテナマークだらけだった。隣の人に聞いたら、互いに祝福するために近くにいる人とハグ・キッス・握手をするらしい。

アメリカの典型的な結婚式だと聞いたけど、ブーケトスやライスシャワーはなく、替わりに式が始まる前に配られたシャボン玉を使ったバブルシャワーがあった。
ブーケトスやライスシャワーが典型的だと、勝手に思い込んでいたのかも知れない。

* * *

式の後、ビルの車で一旦ホテルに戻り、新郎・新婦が手配してくれたタクシー(マイクロバス)でゴルフコース内にあるパーティ会場へ向かう。

受付に贈り物をおき、日本人ゲストが用意したカードにメッセージを書いて会場内へ。
会場内に大きな鳥かごがおいてあり、カードや封筒に入れたお祝い金を入れるようになっていて、素敵なアイデアだった。
(後日談:鳥かご、お花、テーブルの飾り等すべてお友達が準備したんだって)

5時半開場で、有料バーでお酒を飲んだり、新郎新婦と写真をとったりして時間を過ごし、7時にパーティ開始。

テーブルの私の隣は神父さん。Ministerと紹介された時に「Minister=大臣」と勘違いしたけど、よくよく聞いてみたら神父さんだった。衣装が違うから気がつかなかった。
逆側のお隣さんは新郎の友達で、イギリスから来た車産業関係の人。仕事で日本に行くこともあり、新幹線に乗るのに便利だから東京での宿泊先はいつも品川だって(通だね)。

※ここで質問です。
「3ボックス、3ライン」と呼ばれている場所は、どこか判りますか?
(答えは“続きを読む”の最後にあります)

同じテーブルの他のゲストは3組のカップルで、全て新郎関係。共通話題はほとんどなく、どうしてもデトロイト=車産業の町の話題になってしまう。ちなみに新郎も車関係の会社のエンジニアだそうで。

食事は、パン、サラダ、事前に出席カードで選択したメインディッシュ(私はサーモン)、そしてバッフェスタイルのケーキ。

日本の披露宴のように式次第が細かくなく、新郎、新婦のお父さん、そしてベストマン(新郎の付添い人)の挨拶があったくらい。
3人とも聞き取りづらい英語で、良くわからなかった。
私の英語のレベルは集中して聞かないと理解できないレベルなので、パーティの途中からは理解することを放棄。

途中、誰かがフォーク等でグラスを鳴らし始めると、新郎・新婦のキッスタイムになる。
いうまでもなく、私も鳴らした。

食事の後はダンスタイムになり、新郎・新婦の親から踊り始める。
Jayneの両親のダンスなんて初めて見たけど、お母さんはダンスが好きみたいで、途中から靴を脱いで楽しそうに踊っていた。
Jayneはドレスを持ち上げて狂ったように踊っていて、さすがJayne!彼女だからできる。

新郎はパーティの合間に写真を撮りまくっていて、翌日聞いたらパーティだけで700枚撮ったと言っていた。

パーティは遅くまで続き、私達のタクシーが迎えにきたのは23時。最終的には24時まで続いたらしい。

(続く)次回はBBQパーティーのお話。

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ウルルン滞在記~2005年北米編③

時差ぼけと、スーツケースが心配で早朝3時頃に目が覚めた。

特別な日でなければまあ一日くらいはどうにかなるけど、その日はJayneの結婚式という特別な日。
万が一スーツケースが届かなかったらどうしよう。
結婚式出席用のドレスと靴…、全てSサイズだから現地では簡単には揃わない。それに退職したばかりなので、余計な出費は抑えたい。
いざとなったら、ジーンズとノーメイクで結婚式に出席しようか・・・。

眠れないまま朝を迎えた。
ホテルのチェックイン時に事情を説明し、スーツケースが届いたらすぐに連絡して欲しいと頼んでおいたにもかかわらず、朝になっても連絡がない。
航空のバッケージクレームセンターに電話で問い合わせたところ、スーツケースは早朝にホテルに届けたらしい。ホ
テルのフロントに電話したら、届いているから取りこいって。
はぁ~? まあ、届いていたから良いか…。午後からの結婚式に間に合う。

前日のチェックイン時に、フロントにJayneの元彼のビルがいて、紹介してもらった。
ビルも同じホテルに滞在しており、結婚式に出席するらしい。
(後日談:トロントのJayneの友達に話したら、北米でも元彼が結婚式に出席するのはあまりないと言っていた)

スーツケースが届かなかった場合、買い物に連れていって欲しかったから、車で来ているのかと尋ねたところ、答えはYES。結婚式会場に行く時も乗せてくれるって。
彼にスーツケースが届いたことを報告し、出発時間を決めた。

それ以降、ビルは私のアッシー君(死語?)となる。

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ウルルン滞在記~2005年北米編②

バッケージ・クレームで時間がかかったため、到着から40分程遅れて出口へ。

Jayneが迎えに来てくれると約束していたのに見当たらない。
約束の時間に迎えにきたのに、私がいなくて帰ってしまったのかな~なんて思いつつ、ずっと待っていた。

迎えにきて貰えるはずだったから、ホテルへのアクセス方法なんて調べていない。

オーバースティ疑惑にあい、スーツケースもなく、そのうえ迎えもないの、キ~~~!と叫びたい気持ちだった。

そろそろ自力でホテルに行くことを検討しなければと思い始めた1時間15分経過後、Jayneが到着。
寝坊したうえに、空港で迷ったらしい。全く・・・。

Jayneにスーツケースが届いていないことを説明して、ホテルから歩いて15分程の24時間オープンのスーパーの場所を教えて貰う。
ホテルに行く前に寄ろうかと言われたが、ホテルに何が備えてあるか判らないので、チェックインしてから買い物に行くことにした。翌日に結婚式を控えているJayneをこれ以上引きとめる訳にはいかず、ホテルで降ろして貰った。

* * *

ホテルというよりモーテルのような2階建てのホテル。部屋は1階で、部屋の前は駐車場。殺伐とした雰囲気だった。

お腹が空いていた。ああ・・・、機内食で貰ったマルちゃんの赤いキツネとバナナを持ってきていればひもじい思いをしなかったのに。

ホテルに備えてあったものは、石鹸とシャンプーのみ。
一泊するのに最小限必要なものを買うために、重い腰をあげ、夜9時に歩いてスーパーへ向かった。 片側3車線もある広い道だか歩道がない。怖い。しかし、行かなければ…。
(後日談:地元の人の話では、危険ではないけど普通は歩かないよって)

幸いなことに大きなスーパーで、衣料品から何でも売っている。
翌日にはスーツケースが届くことを期待して最低限のもの(パジャマ用にメンズ用Lサイズのシャツ、歯ブラシ・歯磨き粉、コンタクト用保存液)、夕食、ついでにビールも購入。

長い長い、災難だらけの1日だった。

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ウルルン滞在記~2005年北米編①

成田発シカゴ経由のデトロイト到着のノースウェスト航空で出発。

席の両側は小太りの外国人男性に挟まれた中央の席で、なんとなく窮屈な思い。
(でも、この後のことを考えるとどうってことはない)

食事は覚えていないけど、夜食はしっかり覚えている。マルちゃんの赤いきつねとバナナ。それは機内に置いてきたが、後で後悔することになる。

* * *

シカゴに到着し入国手続き。人差し指両方の指紋と顔写真をとられる。(テロ対策のため厳しい)

いくつか質問された後、パスポートを取られ、別の係員が来るから待てと言われた。
どうして?乗り換えするから?なんて、軽く考えていた。

しばらくすると別の係員が来て、別室に連れていかれた。不審な外国人も数名いた。私も不審な外国人の一人なんだけどね。
何の問題かわからず、ずっと待っているとまた別の係員に呼ばれた。
理由は、10年前にアメリカにオーバースティしていたことらしい。

10年前って・・・、カナダに短期留学していた時じゃない。その時もシカゴで乗り換えたためアメリカで入出国手続きしたけど、カナダに滞在していたはず。
アメリカはビサなしで3ヶ月以内しか滞在できないけど、カナダは6ヶ月滞在できたのだ。

しかし、古いパスポートは持っていないし、係員に見せる証拠もなく、言葉で説明するしかなくて・・・。
係員は奥にひっこみ、また待ち状態。

頭の中ではいろいろなことが駆け廻っていた。
これからどうなってしまうのだろう。
日本へ強制送還?
それとも拘留・・・?

係員が出てきて、再度確認してきた。「本当にオーバースティしたことがないのだね?」というNegative questionに「No!」。ちゃんとノーと言えた。

私はNegative questionは苦手で、時々間違った返事をしてしまう。
日本語だと、“・・・したことがないですか?”という質問に対し、“はい(Yes)、・・・したことがありません”と答えるじゃないですか。
この場合はそんな間違いは許されない。「Yes」と答えたら“私はオーバースティしたことがある”と受け止められてしまうのだから。

その係員は、女性職員のところに何かを聞きに行った。
女性係員は、他のお腹が大きい女性職員とおしゃべり中。
男性係員はおしゃべりが終わるのを辛抱強く待っている。
乗り換えの飛行機の出発時間はせまっている。
長いおしゃべりが終わり、男性係員が何かを確認し、パスポートにスタンプを押してもらい、私は無罪放免となった。

部屋を出るときに、「私は何の問題もないですね」と確認したら、「Have a nice day!」だって。がっくりです。

* * *

入国手続きの後、急いで国内線のセキュリティチェックへ。
国内線でも(アメリカ在住者も含めて)全員パスポートを提示しなければならず、長~い列に並び、手荷物検査を受けなければならない。
前に並んでいる人に、靴を脱がなければならないのか?と聞いたら、どちらでも良いけど脱いだ方が面倒にならないと言われ、靴を脱いで手荷物検査を受けることに。

乗り換えの飛行機にどうにか間に合い、一時間ちょっとでデトロイトに到着。

預けたスーツケースを受け取るためにバッケージ・クレームに行ったが、荷物が中途半端に置かれたままターンテーブルが止まっていて、ターンテーブルの故障かと思いしばらく待っていた。係員は見当たらない。
やっとターンテーブルが回りはじめ、係員らしき人が現れたので、30分も待っているのにスーツケースが見つからないと問い合わせたところ、今回っているターンテーブルは次の便の分で、クレームチェックへ行きなさいと言われた。

クレームチェックには私と同じ乗り換え組が何人かいて、聞いたところ、成田発シカゴ経由デトロイト着のバッケージは私達が乗った便に積まれていなかったらしい。
次の便で届くはずだから、ホテルに届けるので、ホテルの住所を書きなさいと言われ、預かり書のようなものを渡された。

次の便はいつなのよ?
ホテルには何時頃届けてくれるの?
動転していたため、そんなことも聞かずに空港の出口に向かった。風が冷たい夕暮れだった。

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ウルルン滞在記~2005年北米編(序章)

きっかけは、カナダにいるはずだったJayneからの手紙でした。
住所はアメリカ・デトロイトになっていました。

Jayneは、随分前に私がカナダ・トロントに短期留学していた時のホスト・フレンドでした。
ホスト・フレンドという言葉はないかもしれませんが、彼女は一人暮らしで私より年下でした。ホスト・ファミリーというより、ホスト・フレンドだよね、ということでこのような呼び方をしています。

彼女にとって、私は最初のホームステイ学生だったのです。
彼女は愉快だけど傷つきやすく、いろいろな事がありましたが、お互いに良い関係を築けたのです。

手紙は、Jayneが秋にデトロイトで挙式をするので、式に出席して欲しいという内容でした。

その頃、仕事や上司のことで悩んでいた時でした。
どうせ行くなら、トロントにも行きたい。長い休暇は取れそうもないし、え~い辞めてしまおう!ということで、3ヶ月前にはデトロイトへの出発前日の日付で退職願を出したのでした。(今思えば、あれは浅はかでした。再就職は困難でした)

トロントにはJayneを介して知り合った友人がいます。当時のJayneの同僚だったJamieとその夫のDoug。
トロントに行った時にはいつも泊めて頂くとても仲が良い夫婦です。
JamieとDougに電話して、泊めて貰うことを快諾してもらいました。

夏にはJayneから正式は招待状が届き、出席の返事を出して、いよいよ準備開始。
Jayneとメールでやり取りしながら、ホテルや結婚式の衣装を選んでいました。
ある日、新郎のPoulからメールが届き、「Jayneは入院しているから、何かあったら僕に連絡してね」と。
何があったの?結婚式は大丈夫なの?真相はJayneに会ってから知りました。

結婚式場はデトロイト郊外なので、そこで3泊。
デトロイト市内にも行きたいので、市内で2泊。
デトロイトからトロントへの移動の鉄道。
全てネットで予約しました。

後は航空券ですが、当時の同居人(夫)が航空券は代理店に知り合いがいるから任せてと言っていたので、任せていました。
しかし、出発2週間前になっても決まらず、正規のルートで予約することにしました。同居人が言っていた金額と大差がなかったので、まあ良いですが・・・。(その頃も当てにならなかった同居人)

日本人なので(笑)、日本のお土産もしっかり用意して、出発前日まで仕事をこなし、残った引継ぎの仕事は帰国してからすることを約束し、2005年10月7日に出発しました。

(続く)

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海外の想ひ出

昨年までは、毎年のように海外に行っていました。

最初の海外は、出張でアメリカのシアトル。当時、英語は全然話せませんでした。
2回目は、友人とアメリカ西海岸ツアーに参加。

あれから、何カ国行ったかな。
友達や家族と一緒だったり、一人旅だったり、出張だったり、現地のお友達訪問だったり・・・。

カナダ、アメリカ、オーストラリア、サイパン
シンガポール、マレーシア、タイ、中国、香港
マカオ(香港から日帰り)、韓国(トランジットで一泊のみ)
ベルギー、フランス、オランダ、ドイツ、スイス、イギリス、ルクセンブルク

今年は、海外どころか東京から出たことさえありません。
東京23区から出たのは、面接のため1回だけなんです。

因みに、元同居人(夫)は今年(別居前まで)だけで、10回以上海外にいっています。そのほとんどは、私のクレジットカードを無断で使い航空券を購入していたのです。

行きたい所はたくさんあるけど、当分行けそうもありません。
早ければ1年半後でしょうか・・・。計画することができない状況です。

だったら今までの海外の想い出を綴ろう。そして海外に行った気分に浸ろう・・・、そう思い始めました。

1回目は、昨年秋の北米(デトロイト&トロント)への10泊12日の旅を連載で綴ります。

旅行後に書いたmixiの日記を頼りに、文章力のない私がどこまで書けるでしょうか。

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